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椎葉へ「UIターン」

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椎葉村へUIターンした人にお話を聞きました。
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#移住

【椎葉若者写真鑑】 集落支援員

 東京で生まれ育った大石哲嗣(てつじ)さん。農業系の出版社に勤めながら、農村の問題や山村の暮らしを取材する中で、山の木々に囲まれて「かてーり」と呼ばれる共助のシステムの中で暮らす農村の逞しさに惹かれるようになりました。  「若いうちから移住して、村民になる生き方をしてみたい」  そんな思いに駆られ、日本各地の候補地を回って、辿り着いたのが椎葉村でした。  椎葉では造林や土木の仕事を経験し、山に関わる仕事の魅力を感じました。その後は、自身も住んでいる小崎地区の集落支援員を務め

【椎葉若者写真鑑】 でぇらの家

 地域おこし協力隊として六年前に移住してきた村上さんは現在、キャンプ場の指定管理や、自身で古民家をリノベーションしたシェアハウス『でぇらの家』の運営を中心に、椎葉村に興味を持ち、この環境や地域に入ってみたいと思う人の入り口となるような居場所づくりをしています。  村上さんが大切にするのは、自然を活かしながら自身の生きる力やたくましさを養い、生きる手応えの感じられる暮らしをすること。それらを体感として実践できる場所がこの『でぇらの家』です。  例えば、この家にはボイラーがあ

【椎葉若者写真鑑】 母

 椎葉亜也加さんは、尾向地区で今も受け継がれている伝統農法の焼畑や、夜神楽に興味を持ったことがきっかけで、長年冬の神楽の時期に合わせて椎葉に通いつめ、ついに六年ほど前に移住してきました。通い出した当初はまだ移住者はほとんどおらず、今こんなふうに、たくさんの若い世代が椎葉に移り住む時が訪れるなんて、思ってもみませんでした。  長年の交流を経て地域にもすっかり溶け込み、近所の農作業の手伝いもよく頼まれるような気心の知れた関係のもと、椎葉暮らしを満喫している亜也加さん。  毎年加

【椎葉若者写真鑑】 椎葉村図書館『ぶん文Bun』

 四年前に東京から移住してきた小宮山剛さんも「日本三大秘境」のワードに惹かれた一人。別の地域では感じられない唯一の価値があるのではと期待し、「クリエイティブ司書」のミッションにも大いに胸躍らせ、地域おこし協力隊として椎葉村図書館『ぶん文Bun』の立ち上げに携わりました。  椎葉に来て、椎葉の人の話を聞いて、人口減少や村の存続の危機感に触れて。移住促進や子どもたちの教育環境を考え、帰ってくる人を増やさなければ村がなくなる。そんな実感のこもった課題を目の前にして、「燃えざるを得

【移住者インタビュー】住んだことで触れられた秘境の文化

来るたび「徐々に」 今回は、椎葉の子ども達に大人気、ALTのジュリーさんに話を伺いました。 椎葉村の小学校・中学校・交流拠点施設Katerieで英語を教えています。 お名前はジュリー・マリー・デュロ(Julie-Marie Duro)さん。 ベルギーのご出身で、高校で英語とフランス語の教師をしていました。他にも、写真美術館のアクティビティーで、子どもから大人まで写真の事を教えていたそうです。 大学で「哲学」を専攻していて、写真の哲学について学ぶうちに興味を持ち自ら撮り始

【移住者インタビュー】移住に大切なのはスペックよりもフィーリング

自分にしか出来ないこと 今回は椎葉村の地域おこし協力隊OBで、現在「合同会社ミミスマス」の代表を務める上野諒(りょう)さんからお話を伺いました。 上野さんは2017年7月に、地域おこし協力隊の「秘境de農業」というミッションで椎葉村へ移住しました。 宮崎県宮崎市出身で、大学進学を機に上京しますが、就職後に配属先が宮崎市になり、図らずもUターンすることになります。 会社勤めの中ではストレスを感じることも多く、当時釣りや登山にハマっていたこともあって、自然を求め移住を考えだし

【Uターン者インタビュー】椎葉はいつだって歓迎してくれる

「いつか帰りたい」と「一度帰ってきたら」 今回お話を伺ったのは、椎葉村の耳川広域森林組合椎葉支所で働く、共にUターンで同級生の尾前さくらさんと那須謙二郎さんのお二人です。 椎葉村には高校がなく、中学卒業後は村外で進学します。 さくらさんは尾前地区出身。中学卒業後、小学校で始めたという剣道が強い高千穂高校へ。3年間部活動に打ち込み、卒業後は自衛隊に入隊。通信手として活躍されました。 入隊4年目の昇進のタイミングで、以前から思っていた「いつか椎葉に帰りたい」という気持ちが強く

【移住者インタビュー】Jターンで役場職員に。秘境歴3年目で見つけた小さな幸せ。

今回お話を伺ったのは、椎葉村役場の地域振興課にお勤めの松田健太郎さんです。 松田さんは宮崎県日向市出身の28歳、愛称「マツケン」として村の皆さんから呼ばれているそうです。 マツケンさんは、宮崎県内の高校を卒業後東京の大学に進み、その後東京で1年働きUターン。延岡で1年働いた後、専門学校を経て椎葉村役場に入庁しました。 そんなマツケンさんに「椎葉村について、初めに抱いていたイメージは?」と尋ねてみると、 「小さい頃から『椎葉はとにかく遠い!』と聞いていたように思いますが、

「田舎がつまらん」は自分次第。日本唯一の焼畑継承者が描く未来の基準は「楽しく、おもしろく」

今回は、尾向地区・向山日添で民宿「焼畑」を営みながら、椎葉の焼畑農業を継承されている椎葉勝(しいば まさる)さんにお話を伺いました。 世界農業遺産にも認定された椎葉の焼畑は、日本で唯一これまで一度も途絶えることなく受け継がれてきた貴重な事例として、高い評価を受けています。 その長年の継承の裏にある苦労や思いとは、どのようなものでしょうか。 勝さんに、焼畑の未来、また椎葉の未来について語っていただきました。 やっぱり故郷だから、帰りたくなった 若いころは、島根県出雲市を

“畑耕す移住者”SDGsファシリテーターが、椎葉村の未来に伴走。原動力は「自分も村を構成する一人」という感覚

今回お話を伺ったのは、2021年3月に椎葉村地域おこし協力隊を卒業し、合同会社ミミスマスにて椎葉村第6次長期総合計画の策定支援を行っている内村光希(こうき)さんです。 2018年に椎葉村に越してきた、移住者の内村さん。 栂尾(つがお)という地区に家族3人で暮らしています。 現在、栂尾地区の戸数は18軒で、人口は30人ほど。 その平均年齢は65.4歳と、いわゆる“限界集落”と呼ばれる地区です。 そんな地区に仲間入りして早4年。 週末は奥さんや小さなお子さんと一緒に、畑を耕