柳田國男とは誰か(柳田國男を知る~その1)
以前の記事で「柳田國男ツアー」をつくると豪語した筆者です。
ツアーを作るためには、柳田國男について知らなければならない。ということで、記事にしながら勉強していくことにしました。今回はその1です(その何まで続くかは未定です)。
まず、イメージするために柳田國男のご尊顔を拝見しましょう。
柳田國男は、兵庫県生まれで東京大学を卒業後、当時の農商務省に入省しています。
どうして一見シティボーイでエリート官僚の彼が、椎葉村観光協会のHPに載っているのか、気になりませんか?筆者は気になりました。
その理由を一言で言ってしまうと、『後狩詞記』という本を著したからです。ちなみに、筆者は初見でこのタイトルを読めませんでした。「のちのかりことばのき」と読むそうです。
これはどういう本なのか、椎葉に関係があるのか、関係があったとして椎葉村観光協会のHPに載るくらいすごいものなのか、柳田國男は何をしたのか。いろいろと気になりますよね。順を追って紹介していきます。
『後狩詞記』とは
簡単に言うと、椎葉での狩猟に関することをまとめた本です。「え?それだけ?」と思った方も多いのではないでしょうか。
現在では数多くの民俗文化についての本が出されるようになっているため「それだけで歴史に残るの?」と思われるかもしれませんが、柳田國男の時代においては、全国的な視野を持った上で、ある特定の民俗について本としてまとめるということは大変珍しかったようです。例えるなら、今となっては皆が当たり前に利用しているYouTubeに、初期から投稿し始めたHikakinのような感じでしょうか。
そのため、この『後狩詞記』をもって日本民俗学の起こりと言われています。従って、椎葉村は「日本民俗学発祥の地」とされ、椎葉村で柳田國男の世話をした中瀬淳村長(当時)の家の前には石碑も建っています。
つまり、柳田國男は日本民俗学の祖といえるのです。ただのシティボーイじゃないんですね。
柳田國男は何をしたのか
そんなすごい『後狩詞記』ですが、柳田國男はいったい何をしてこの本を完成させたのでしょうか。
結論から言うと、当時の中瀬淳村長に狩について内容を書いて送ってもらったものを編集したということになります。
また「え?それだけ?」と思った方も多いでしょう。筆者もその一人です。「自分で書いてないんかい!」と思いますよね。一応、柳田國男の名誉のために言っておくと、序文は書いています。加えて、編集というものも大変立派な仕事ではあります。
言い訳のようになりましたが、柳田國男の時代において中央官僚が地方の、それも椎葉村のような秘境の地に興味を持ち、そして狩の作法に感動し、これを世間に広めたいと思った感性をこそ褒めるべきだと思います。そして続く『遠野物語』で、民俗学を開いていった業績は素晴らしいものです。
以上が、椎葉村と柳田國男の関係の簡単なあらましです。
次回は、『後狩詞記』の中身について勉強していこうと思います。
文責:
椎葉村地域おこし協力隊
移住コーディネーター 日本で最も美しい村連合アンバサダー
森崎慎也
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