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ひえつき

風薫る椎葉里歩き 第7回 
ONLY ONE エディター 中川薫

 秋、11月。向山日添むかいやまひぞえ地区のヒエ畑を訪れました。そこには、急な斜面を覆い尽くすように1メートルほどの背丈に育ったヒエが無造作に生い茂り、ぎっしりと実りをつけた穂が重そうに頭を垂れていました。

 ここは、2年前に焼畑をした場所。焼畑をしたその年にはソバを、2年目にはヒエやアワをきます。春に蒔いたヒエの種は、半年ほどで収穫の時期を迎えました。

 冬、2月。乾燥させておいたヒエの精白作業『ひえつき』です。教えてくれたのは椎葉ミチヨさん。ひえつきは昔から、寒い日が続くときや、雪深い時期にうちの中でやる仕事だったのだそうです。

 ひえつきは、本当に、本当に、これでもかと言うほど、本当に手間のかかる仕事。

「あやし」(木槌で叩いて実を落とす)
「ふるい」(実だけをふるい分ける)
「釜炒り」(乾燥させ、香ばしい風味を出す)
「石臼ひき」(外側のモミを砕く)
唐箕とうみ」(モミを風で飛ばして実を分ける)
「踏み臼」(重なったモミをさらに砕く)

 これらの工程を2回ほど繰り返して、やっとモミの取れた実が多くなってきました。最後は、精米機を使って細かいヌカを取り除き、ふるってようやくおしまいです。

 ひえつきがここまで骨の折れる作業だとは、本当に想像以上でした。何度も何度も同じ作業を行ったり来たり。

 なにせ、ヒエの実一粒一粒がとても小さいので、モミを取り、ふるってしまって、本当に食べられる物が残るのだろうかと気の遠くなる瞬間も度々あって、なるほど、これなら『ひえつき節』を歌いながら気長にやらないと、集中してはいられない訳だと納得したのです。

 同時に思いを馳せるのは、昔の人の辛抱強さ。ここまでの手間のかかるヒエを食料として栽培してきたのは、平地の少ない椎葉で、車もなく流通が発達していなかった時代には、食料を手に入れるのがいかに大変だったか、ということを物語っているようです。

 私も椎葉に住む上で、ひえつきを経験できてよかった。黙々と、我慢を必要とする作業の中で、椎葉で生き抜いてきた人たちの精神に、少しだけ触れたのかも?そう思えて、ちょっと誇らしい気分になるのでした。


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